Breguet 2988

「タイプ XX」の歴史、その起源と第1世代

by Emmanuel Breguet
Breguet 2988

1950年代初頭、堅牢で特殊な仕様の腕時計クロノグラフというフランス空軍の要請に応える用意があることをブレゲが自覚していたのは当然のなりゆきでした。

一流のメゾンとして名声を誇るブレゲは、19世紀に航海の分野でその役を果たしたように、20世紀に入ってからも人類の偉大な冒険への関わりに熱心でした。多くのパイロットが買い求めたのはブレゲの時計でした。1910年にはアルベルト・サントス・デュモン、1918年にはフランスに駐在中のアメリカの飛行士たちやルイ・ブレゲ航空会社、1920年代にはフランスを訪れた日本人パイロットなど、ほかにも数多くのパイロットがブレゲを手に入れました。

パイロットはもとより、一般的に航空機の乗員にとって、搭乗中の時間の流れを把握したり、緊張をともなう任務の環境で常に時間を把握することは欠かせません。飛行時間や飛行中間タイムの正確な計測、燃料消費の監視、方位の確認、あるいは飛行の遂行など、これらすべてを測定するためにウォッチメーカーたちは長年に渡って取り組み、機器はより正確で扱いやすいものになりました。すなわち、航空用クロノグラフや、これに続く腕時計クロノグラフです。

保存資料の調査は、航空環境の特別な限定に適合する多くの《特別》と称する製品が1930年代以降に登場していることを示しています。たとえば、耐磁性のシルバーケースに収められた径19リーニュの飛行場用クロノメーター、スプリットセコンド・クロノグラフの積算計、断熱ケースが備わる径24リーニュのサーモスタットと照明、シデロメーターを装備する小型航空機用クロノメーターなどです。これらの高度な機構による製品は、軍用の航空と新設航空会社として創設されたばかりのエールフランスに供給されました。

1950年代初頭からは、航空機の計器パネルに搭載する時計機器の供給が一段と重要になりましたが、それは30年間もブレゲが高い評価を得ていた専門技術のひとつでした。最も普及したモデルには「タイプ11」「タイプ11/1」「タイプ12」などがあり、これらは多くの国に販売され、さまざまな航空機の計器パネルに搭載されました。とりわけ記憶に残るものは、あの超音速ジェット機コンコルドです。

ブレゲ社は、1930年代にすでにクロノグラフ機能が備わる腕時計をより多く製造するようになり、戦後もその傾向が確かに見て取れます。腕時計クロノグラフの流行が始まり、それは長く続くことになりました。

 

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新たな製品と《特殊機能》

1940年代の終わり、新たな要求に応えた製品がブレゲに登場します。そこには、民間および軍用の航空機の急速な発展による需要への期待もありました。ジェット機による航空輸送で新たな時代であったことも見落としてはなりません。

航空機に搭乗した際に、安全の理由から代理機能の仕組みを確立しておくことが必要ですが、そこでは時計が極めて重要です。当時それは計器パネルのクロノグラフをパイロットの腕に巻かれた別のクロノグラフでバックアップすることを意味しており、それはどんな時計でもよいわけではありません。ひとつが使用不能になったら、もうひとつが引き継ぐわけです。これこそがこれからその発展を見てゆくことになる時計機器の核心でした。

1949年初頭、フランス航空省に属す飛行試験センター(CEV)がブレゲの最初の腕時計を入手します。460番と記された1点製作によるこの最初のモデルは、1月14日に販売されました。それは、(ムーブメント径)14リーニュのレマニア製ムーブメントを搭載する腕時計、ラグが付くラウンド型の防水ステンレススティール・ケース、ダブルプッシャー・クロノグラフ、ブラック・ダイヤルにタキメーター・スケール、蓄光のアワーマーカーと針…、1948年11月に完成、というものです。もうひとつ、5本シリーズのうちの1本で456番が付されたモデルは、3月8日に販売されました。こちらの仕様は、(ムーブメント径)13リーニュのステンレススティール腕時計、ラウンド型、ダブルプッシャーと積算計付きクロノグラフ、ブラック・ダイヤル、蓄光のアワーマーカー、1948年11月完成、とあります。また、同タイプの別の時計は、CEVのパイロットが、おそらく個人的に購入したと考えられ、それぞれ457と458の番号が付されています。これらは修理のためにブレティニィー・シュル・オルジュの飛行試験センターに戻され、6年後には「タイプXX」と交換されることになります。

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さらなる調査により、各6本のクロノグラフから成る2つの少量シリーズは、新しい機能の記述に特に注目に値する点が明らかになりました。その仕様は、(ムーブメント径)14リーニュ腕時計・特別なクロノグラフ・アワーマーカーを配した可動式ベゼル・ダブルプッシャー・1回のボタン押しでゼロリセットおよびリスタートするクロノグラフ・レイルウェイタイプのアワートラックと蓄光針を配したブラック・ダイヤル・ラグ付きのラウンド型ステンレススティール・ケース・レザー・ストラップ、スティール・バックル、です。1949年7月に入手可能になった最初のシリーズのクロノグラフ6本は、それぞれ409から414の番号が付され、1949年9月から1950年5月の間にすべて買い手が見つかっています。

また832から837の番号が付された2番目のシリーズは、ディテールに追加の記述が見られます。すなわち、(ムーブメント径)14リーニュ腕時計・第2のプッシャーボタンで直接ゼロリセットと瞬時の再スタートができる特別機能が付くダブルプッシャー・クロノグラフ、30分積算計、スモールセコンド針、ブラック・ダイヤル、レイルウェイタイプのアワートラックと蓄光針・ラグと回転ベゼルが付くラウンド型ステンレススティール・ケース、レザー・ストラップ、スティール・バックル、です。1950年10月と1951年11月に製造されたこれらは、1950年10月から1952年7月の間に販売されました。

しかしながら、それはまだ公式な航空部局では話題になっていませんでした。大々的に強調され、明白になっていたこの特別な機能には《リスタート・イン・フライト》の名称はまだなく、「タイプXX」や「タイプ20」という言葉も使われていなかったのです。その一方で、983から994の番号が付された12本のスティール製クロノグラフが実際に1950年3月に製造されており、30分と12時間積算計を配したダイヤルはシルバーで、クロノグラフに特別機能はありませんでした。時計を動かす径13リーニュのレマニア製ムーブメントにはその機能がなかったからです。これらは1951年7月から1952年10月の間に販売されました。

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製品が名称を得る

事態が具体的に進展するのは、1200、1201、1202の番号が付された3本が1952年7月23日に航空技術局(STAé)に納品された時でした。1952年6月30日に出来送り出されたこれらの時計については、秘密保持のために(ムーブメント径)14リーニュ腕時計クロノグラフ・特注・プロトタイプ、とだけ述べられていました。ブレゲは、空軍が装備品にする時計の調達計画を進めていることを知り、選定テストのコンペへの参加を決断しましたが、それは大きな挑戦でした。

1952年12月にブレゲ社は、径14リーニュのムーブメント、30分積算計および特別な機能が備わる24本のスティール製時計を再び提供しました。これらの時計には、1163から1168、1171から1176、1400から1402、1407から1412の番号が付され、ほとんどが1952年12月から1954年5月の間に販売されました。なかでも1408番は、ゴールド製ケースとタキメータースケール付きのシルバー・ダイヤルが備わる異色のモデルでした。そしてすべてのモデルにあらゆるテストが課されました。

やがてその名が知れ渡る名が初めてブレゲ社の記録に登場するのは、1953年の春になってからでした。それは、1530、1531、1532の番号が付されたモデルの「タイプ20」です。記述にはこうあります。「タイプ20」腕時計・(ムーブメント径)14リーニュ・1回のボタン押しでゼロリセットおよびリスタートする特別機能付きダブルプッシャー・クロノグラフ・30分積算計・スモールセコンド・ブラック・ダイヤル・蓄光のアワーマーカーと針。防水ステンレススティール・ケース、回転ベゼル・レザー・ストラップ。1953年4月27日に完成したこれらは、同年の9月、6月、10月に販売されました。

特徴の記述がまったく同じ別の「タイプ20」3本がすぐに現れました。3つのうちの最初の1203番が登場したのはまさに1953年の終わりです。12月12日に完成し、12月15日に販売されたこの時計を購入した顧客は、以前にも述べた有名な航空機メーカーで、非常に緊密な関係にあるルイ・ブレゲ航空会社にほかなりません。時計は、ルイ・ブレゲから、テストパイロットで戦後の航空界における女性パイロットの国際的リーダーとして活躍した偉大な人物、ジャクリーヌ・オリオールへの贈り物でした。

その数週間後、ブレゲ社の販売記録に498番と499番が順に登場しますが、次のような記述以外に説明はありません。

498:(ムーブメント径)14リーニュ腕時計クロノグラフ - Type 20 - ゴールド・ベゼル付きスティール・ケース

499:(ムーブメント径)14リーニュ腕時計クロノグラフ - Type XX - ゴールド・ベゼル付きスティール・ケース

製造日が不明のこれら2つの時計は、1954年1月25日にやはりルイ・ブレゲ航空会社に販売されました。ここで 注目すべきは、2つのモデルを区別でき、特徴の差異がはっきり認められるような解読の手がかりもないままで「タイプ20」と「タイプXX」という2つの名称が用いられている点です。とはいえ、どちらにもスティールのケースにゴールドのベゼルが乗るという驚くべき特徴があります。この風変わりな仕様は後に再び目にすることはありませんでした。

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これらは、498から524の番号が付された27本シリーズのクロノグラフで、「タイプXX」の〈原型〉となる最初の2本です。そのうち3本だけが「タイプ20」と呼ばれ、519番の「タイプ20」は、ベトナム皇帝バオ・ダイに販売されました。502、512、515番の3つは、先に述べた456、457、458と交換するためにブレティニー=シュル=オルジュのCEVに納品されました。以上すべては1954年2月から8月にかけて販売されました。これは以後長く続く冒険の幕開けを告げるものになりました。1954年6月から7月に登場した新しい23本シリーズの「タイプ20」は、ほぼすぐに完売になり、成功が確かなものになりました。

1954年の終わりから1955年に、ムーブメント径14リーニュの腕時計が少量シリーズで製造されました。それぞれのケースは10個あるいは15個で構成され、「タイプXX」と呼ばれたり、時には「タイプ20」と呼ばれることもありました。修理台帳が裏付ける記述によると、これらすべての時計に30分積算計が備わっています。

特別機能付きでも「タイプXX」ではない少数のモデルが時々報告されています。これらはシルバー・ダイヤル、ゴールド針、30分積算計に加え12時間積算計などを備えています。たとえば1954年12月に製造された1735から1937番がそれに該当します。しかしながら、1955年2月と3月に登場した2つの時計、すなわちゴールド・ケース、サテンブラッシュ仕上げのシルバー・ダイヤル、ゴールド針とタキメーター・スケールなどを特徴とする1781と1780番は、最初のほうが「タイプ20」で、あとのが「タイプXX」です。ただしこうしたモデルの数はせいぜい3つで、それ以上はないでしょう。

「タイプXX」や「タイプXX」でないもの、ローマ数字の「タイプXX」やアラビア数字の「タイプ20」、これらすべてがネーミングの点でいささか混沌とした状況を生じさせたのは否めないものの、幸いなことにそれが長引くことはありませんでした。1955年の半ばには事情がやっと正常な状態に戻ったように見えます。空軍向けにただちに供給されることになる時計は、すべて「タイプ20」のままで、7または8で始まる固有の番号が付され、特別な台帳に記録されます。これ以外のあらゆる時計に対しては、派生モデルやバリエーションを問わず、以降は「タイプXX」の名称を使うことになります。たったひとつだけ例外があり、1957年9月に製造された8本の少量シリーズです。15分と12時間の積算計が備わるこのモデルには依然として「タイプ20」と名付けられていたのです。

 

フランス空軍省が秘密を守る中で

軍のほうでは、1952年初頭から次のような経過をたどっていました。フランス軍事省の保存資料の中に発見された、航空技術局(STAé)からブザンソン天文台の所長宛てに送られた1952年4月29日付の手紙は、ブレゲが精密用クロノグラフと腕時計クロノグラフの件に関心を抱いていることを証明しています。当然の成り行きとして、ブレゲ社は、数週間後の7月23日に先に述べた1200、1201、1202とそれぞれ番号が付された3本のプロトタイプを航空技術局(STAé)に送っています。

台帳に登場する「タイプ20」の名が1953年4月に完成したモデルを特に指していることはすでに見てきました。これは、「タイプ20」が“コードネーム”として当局によって数週間前か数か月前に選ばれていたことを意味します。もちろん、航空技術局(STAé)から正式な承認を得るという大きな一歩を記すのは1953年の春でした。極秘扱いに分類されるEtat d’avancement des etudes(研究の進捗状況)と題された1953年7月1日の資料を読むと、この日、ブレゲ「タイプ20」‐ ドイツのハンハルト製クロノグラフに匹敵するクロノグラフ - がすでに承認されたことがわかります。

技術仕様書

これまで「タイプ20」の技術仕様一式について非常に多くのことが語られてきました。そして、航空技術局(STAé)が1956年4月に9ページの冊子の形で刊行した公式文書に載っている有名な「タイプ21」の技術仕様と「タイプ20」とを比較して無益な探求が続けられてきました。Programme technique des montres chronographes bracelets Type 21 destinées à l’emploi en vol(飛行中に使用する腕時計クロノグラフ、タイプ21のための技術プログラム)と題された冊子の本文には、技術、デザイン、部品に 適用される機能的制約に関する厳格な規定や、合格しなくてはならない多くの耐久テストについてリストアップされていました。すなわち、直径約37mmでスクリューバックおよび防塵防湿ケース、ひげゼンマイとの耐衝撃とずれ防止装置、35時間パワーリザーブ、蓄光マーカー付き可動ベゼル、大きな蓄光数字と300分割の外周目盛り、9時位置にスモールセコンド、3時位置に30分積算計、日差15秒あるいはそれ以下、最低5Gの加速度で稼働に影響されないこと、12ガウスの磁場での順調に稼働すること。大気圧を越える加圧や減圧でのテストなどです。ところが冊子の第1章には「このプログラムに含まれる諸条件は必須の義務ではなく、このタイプの機器にとって規定に即した設計を考案する上での原則として役立てるもの」と明白に述べられているのです。文脈からは、どのようなテストがモデルに課せられていたのか、当局からの要求がどれほどのレベルなのかを知ることは困難です。ただ「タイプ21」に強く推奨されていた衝撃吸収装置を除けば、「タイプ20」が全体としてこの1956年の文書の要件に合致しているように思えることを認めざるをえません。上に引用した1953年の文書が示唆しているように、航空技術局(STAé)は、少なくともハンハルトというブランドのドイツ製クロノグラフを参考にして「タイプ20」と名付けた機器を定義していました。ハンハルトのクロノグラフは、フランス軍がいわゆる戦利品の一部としてある程度の個数を手に入れましたが、公式な形での技術仕様書は作成されていませんでした。フランス政府に精通した人々なら、こう言うでしょう。「タイプ20」についての公式文書の草稿が1952年か1953年に作成されたとしたら、「タイプ21」についての1956年4月の文書は「かかる文書は、○年○月付のタイプ20に関する以前のものを破棄し、置き換える」といった決まり文句から始まる必要があっただろうと。

この問題についての再考を締めくくるにあたり、次の点は付け加えておかなくてはなりません。ブレゲ社の保存資料に1956年に完成した「タイプ21」とみなされる7本の時計の痕跡が見つかり、30分積算計が備わる3本が1956年10月8日に航空技術局(STAé)に納品されましたが、「タイプ20」と「タイプXX」のみを作り続けていたブレゲ社への受注は途切れることはなく、その後の展開にも変更がいっさい生じなかったことは認めなくてはなりません。言い換えれば、ブレゲや他の何社かが「タイプ20」を製造していたのに対し、それ以外は「タイプ21」を作っていたわけです。微妙な差異があるものの、同一の製品に2つの名称が付けられていたと言えるのではないでしょうか?

 

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1954年に生じた大量発注

1953年に承認を得た後は、契約を与える側の行政手続きが残っており、これには数か月を要しました。1954年に契約番号5104/54でブレゲと結ばれたのは、会社規模としては「世紀の契約」とも言えるものでした。フランス航空省がフランス空軍の需要に応じてブレゲに発注した時計の総数はなんと1100本にも達していたからです。1954年11月に早速取りかかり、最初の250本の時計が1955年6月17日に、続いて240本が同年11月16日に納品されました。同様の納品はただちに2回続き、1956年6月1日に245本、1957年7月31日に245本が納められました。この2年間で980本が納品されたことになります。残り120本の「タイプ20」は、1958年と1959年に販売されました。航空省に納品されたこれらの「タイプ20」は、小径の30分積算計、無銘ダイヤル、刻み模様のないベゼル、規制標識を刻んだケースバック、ペアシェイプのリュウズなどが特徴であり、ひと目で見分けられます。リュウズは、美観の魅力もさることながら、非常に使いやすく、グローブを装着した手でも扱えました。

 

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ムーブメントについて。ヴァルジュー 22とその派生キャリバー

ブレゲが「タイプ XX」に搭載するムーブメントとして選んだのはヴァルジュー 22です。このムーブメントは径14リーニュ、つまり32.6mmで、ある記述ではAAと呼ばれる精緻まで行き届いた仕上げをブレゲが注文したものでした。そしてそこにフライバックの名で知られる機能のモジュールが追加されています。当時この機能は、ブレゲの保存資料ではしばしば《特別機能》と呼ばれ、一方ヴァルジューの記録では《夜間機構》や《直接ゼロリセット機構》とも呼ばれていました。つまり、誰もがその重要性を理解していた機能でした。

約35時間のパワーリザーブやコラムホイールが備わる手巻きムーブメントのヴァルジュー 22は、ブレゲの歴史の一部を成し、15分または30分積算計を配したモデル向けのキャリバー222と、12時間積算計を追加したキャリバー225の2種類があります。ムーブメントは、毎時1万8000回振動、チラネジ付きテンプ、ブレゲひげゼンマイなども特徴です。また、インカブロックのような耐衝撃装置は装備していなくても、頑強で十分満足のゆくとの評判を得ていました。キャリバー222と225の2つは、1963年まで「タイプ XX」に搭載されていました。

1963年の終わりに2087の番号をもつ時計が登場します。これはヴァルジューの現代的な新型キャリバーを搭載する初の「タイプ XX 13リーニュ」でした。ブレゲは径13リーニュ(29.50mm)の2種類のムーブメントをモデルに応じてきちんと使い分けました。〈2カウンター〉「タイプ XX」の全モデルのキャリバーはヴァルジュー230、〈3カウンター〉「タイプ XX」にはヴァルジュー720です。以前のムーブメントと同じ考え方で設計されたこれらの現代化したキャリバーには、インカブロック耐震装置とチラネジのないスムーステンプが用いられています。こうしたムーブメントの変更は、「タイプ XX」の外装に影響を与えることはありませんでした。ケースは同じで、以前よりやや小径のムーブメントを支えるための固定リングが追加されました。

 

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12時間積算計とCEVからの発注

ブレゲは、空軍向けの「タイプ20」を製造する一方で、「民間」顧客や他の組織に向けたバリエーションモデルのシリーズを開発しました。1955年5月に発表された1888番は、6時位置に12時間積算計の小さなサブダイヤルを追加した時計でした。これに続くのが、同様の12時間積算計を加えた25本シリーズのモデルです。「タイプXX」のファミリーは拡大し、その後不動のコレクションへと発展してゆくのです。

「タイプXX」はしばしば簡単に略して《3カウンター》と呼ばれ、とりわけ先にあげた顧客たちを魅了しましたが、ここでもっと詳しく取り上げるべきでしょう。飛行試験センター(CEV)は、パリから25km南方のブレティニー・シュル・オルジュで1945年から2001年まで運営された組織でした。その幅広い任務には、軍用機のプロトタイプや装備品(パラシュート、脱出シート、無線ナビゲーション機器、積載レーダー、武器など)のテストが含まれます。1950年代にCEVは約50人のパイロットを雇い、そのうちの20人はテストパイロットの資格を有していました。彼らはフランス航空界を代表する精鋭たちなのでした。すでに見てきたように、CEVとその職員、またはその外部の人物が彼らにとっての初のブレゲ・クロノグラフ、ただしフライバック機能のないクロノグラフを1949年に手に入れました。全部で4本のクロノグラフのうち3本が1954年2月にブレゲによって「タイプXX」に交換されました。CEVはブレゲの製品に公式テストを実施するように委託されていたのでしょうか。その可能性はあり、もちろん実施したはずです。いずれにしても、1956年以降、「タイプXX」はこの名高い組織で運用される時計になったのでしょう。先に述べた時計に続いて、80本もの「タイプXX 14リーニュ」の追加注文があり、17本が1956年12月12日に、33本が1957年3月に納品されました。15分と12時間積算計を配したこれら50本と並び、15分積算計のみを配した他の30本は1957年5月2日に納品されました。これらすべてのケースバックに《CEV》とこれに続けて1から80の通し番号が順に刻まれ、いわゆる《3カウンター》モデルは1から50、《2カウンター》モデルは51から80に分けられました。2499の番号が付され、《CEV 1》と刻まれた時計は、当然ながらCEVの所長で、エンジニア兼総監のルイ・ボントのものでした。チョコレートブラウンのダイヤルを用いたこの時計は現在ブレゲ・ミュージアムのコレクションに納められています。

 

 

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1958年、海軍がパイロット用の装備品として要望

1958年、今度はフランスの軍用航空の一翼を担うアエロノーティク・ナヴァルと呼ばれる航空隊から相当な量の発注を受けました。この組織は空軍ではなく、海軍に帰属する部隊です。発注規模は空軍より下回るものの、それでも500本というかなりの量でした。これらの時計の特徴には、以前のものと比べてある注目すべき相違点があります。

製造記録では順にそれぞれ3927から4427番が付されていますが、この数字に加えられた総数の500と通し番号については、それらが連続しておらずランダムになっているのです。3927番に対しては、仕様が通常より詳細に記述されています。(ムーブメント径)14リーニュのタイプXX腕時計クロノグラフ、防水スティール・ケース、蓄光のアワーマーカー付き回転ベゼル、15分積算計、ブラック・ダイヤル、蓄光のアワーマーカーと針、積算計に蓄光の5分間隔の目盛りと5本の蓄光ライン、というような具合です。フランス海軍が海軍航空隊用に発注した500本は、1958年10月から1959年12月に組み立てられ、1960年1月13日に全品一括して納品されました。これらの時計は、空軍に供給された、いわゆるその「従兄」と同様にたやすく見分けがつくものの、同一ではなく、かなり異なっており、大型の15分積算計、ブレゲの名を記したダイヤル、刻み模様のないベゼル、規制標識を刻んだケースバック、ペアシェイプのリュウズなどが特徴です。

 

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注目を浴びるモデルの多様な展開

顧客の照会先ブランドになり、その納入業者になったという事実は、ブレゲにとって目覚ましい成功でした。にもかかわらず、ブレゲの成功はその栄誉のみに留まることはありませんでした。納品した1700本は、1970年までに製造された総数約4000本のうちのほぼ半分にしか相当していません。この時期に手に入った「タイプXX」は、あらゆる航空団体において《アイコニック》な時計になっていただけでなく、航空界以外でもさらにアイコンだったことを見逃してはなりません。この時計は、外観の点では飛行試験センターに納品された時計の決定的な特徴、すなわち15分と12時間積算計、または15分積算計のみを装備(6本の例外を除き、1958年以降は30分積算計はありません)、目盛りを刻む回転ベゼルなどを受け継いでいました。だからといって、ムーブメントやダイヤル、針などの希少なバリエーションの展開を排除しているわけではありません。ある少量シリーズの場合、形の違いが特徴を成す場合もあるからです。

最大でも数10本単位の非常に希少なモデルは、ブラウン・ダイヤルで製造されました。これに対して他のモデルのダイヤルがブラウンなのは、太陽や月の光に長年さらされた影響でわずかにブラウンの色味を帯びたからです。

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高精度を熱烈に愛好する人々向けにブザンソン天文台の歩度証明書を添えた時計も提供されました。これは、世界で最も正確な時計の基準に合格しているということを実際に証明するものでした。この歩度証明書付きの「タイプXX」は全部で20本あり、価格はほぼ25%上乗せされました。これらは1957年11月に3本、1958年7月に10本、1959年10月に7本が製造されました。また内訳は、30分積算計付きが9本、15分積算計付きが2本、15分と12時間積算計付きが9本でした。

また、販売台帳によると、回転ベゼルにタキメーター・スケールを配した非常に珍しいモデルもありました。ブレゲ社は、要望があればこうしたモデルの提供も時には厭いませんでした。同様にブレゲの工房は、通常のダイヤルをタキメーター・スケール付きのダイヤルに置き換えることも行いましたが、あくまでも極めて例外的な変更でした。

「タイプXX」の評判は、メゾン・ブレゲがフルに利用できる現実的な強みになりました。そこには、多数のパイロットや単なるクロノグラフ愛好者、またブレゲの忠実なファンと並んで、民間航空あるいは軍用航空に関連する組織、たとえば国立民間航空学院(ENAC)や国家憲兵隊(おそらくヘリコプターのパイロット向け)、さらにエール・ガボンやラオスのヴェア・アカトのような外国のエアラインなども名を連ねています。

航空界を超えて、エンジニアやレーシングドライバーの時計に

「タイプXX」の魅力は、航空界を超え、エンジニアや技術者のために彼らの任務に適した時計を提供すべく注意を払っていた研究分野や産業界の企業も取り込みました。このカテゴリーには、1956年から1968年に22本の時計を購入した国立電気通信研究所(CNET)、1959年に6本を発注した原子力庁、さらには1963年のマルセル・ダッソー・エレクトロニクス、1957年のテレビジョン・フランセーズ、1966年のフランス初の宇宙研究所セルビス・ダエロノミーなどがあります。

「タイプXX」の多方面での活躍はこれに留まりません。保存資料を精読すると、一般によく知られた2つの石油会社のシェルとエッソも「タイプXX」を購入していたことがわかります。1954年から1965年にシェルが買い上げた10本は「Shell Berre」と呼ばれることもあります。1955年から1963年のエッソが買い上げた35本は当時「Esso Standard」の名で知られていました。

多くのカーレースを主催あるいは協賛する企業は、これらの時計を大会の優勝者に賞品として授与しました。1959年、第28回モンテカルロ・ラリーで優勝したシトロエンIDのドライバー3人、アレクサンドル、コルテローニ、デロジエの各氏に「タイプXX」が贈られました。ピエール・アレクサンドル氏が所有した「タイプXX」No.3065は、現在ブレゲ・ミュージアムのコレクションに収められています。エッソスタンダードに対しては1957年11月21日に販売されました。1959年2月に販売される1本の「タイプXX」は、フランスの偉大なラリードライバー、フェルナン・マソエロに授与されました。また、1960年5月5日にエッソスタンダードに販売された「タイプXX」No.4962は、その数か月前にF1ワールドチャンピオンシップで優勝したジャック・ブラバムに贈呈されました。

幅広い分野で地位を確立した航空時計の「タイプXX」の歩んだ道はこのようなものでした。それは、メゾンがすでに築いた豊かな歴史に新たな美しいページを書き加えるものになりました。1965年にヴァルジューの径14リーニュのムーブメントが、より現代化したバージョンの径13リーニュに置き換えられ、技術面で進化しても「タイプXX」の外観は15年も変わりませんでした。はたしてこれがその後も続いたのでしょうか。

「タイプXX」が著しい進化を遂げるのは1970年になってからでした。今回のポイントはデザインにあり、第2世代の「タイプXX」の外観を決定づけるものになりました。このモデルは1971年に発表されました。

 

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